ムーミン&スナフキンから考えるシンプルな暮らし方
2016年6月21日
テレビのCMでのムーミンとスナフキンの会話。
ムーミン「町ってどんなところ?」
スナフキン「余計なものが多いところさ」
真剣に見ていたわけではなかったのですが、この会話に心奪われました。「余計なものが多い」正しくなぁと思い納得です。
便利になって5年前10年前では考えられないものがいっぱい製品化されています。便利になりました。
パソコンも携帯電話もスマホもタブレットも電化製品も車もどんどん進化してきています。そのおかげでとても楽になったものももちろんあります。その反面よき習慣というか想いみたいなものが失われてきていると思うこともあります。
携帯電話が普及して、待ち合わせをしない人も増えたらしいですね。私は何時にどこで・・・という感じに約束することが多いのですが、たまに「予定が終わったら電話します」と言われることも言うこともあります。
それで都合が悪ければ他の方法を考えるので良いのですが、ちょっとだけさみしく感じることもあります。
携帯電話がなかった時代は待ち合わせの時間と場所を決めておかないと会えないんです。だからちゃんと決めて、遅れないようにようにスケジュールを考えたものです。遅れても連絡できないので相手を待たせてしまうから。
今は電話で、メールで、LINEで連絡できちゃうんですよね。だから待たせてしまっても遅れても相手に時間を使わせているって感覚が薄れちゃう。会えるっていうわくわくした気持ちもたぶん携帯電話がない頃よりちょっとだけ薄いと感じることもあります。
なにかを調べるのも昔は本を探すところから始めたり、知っている人を探すところから始めました。今はGoogleさんにお願いします(笑)
便利で速くて時間の短縮になりますが、それ以外の調べ方がわからなくなります。人と接しなくて良いので、調べている以上の情報が入らないのです。
お料理のレシピを探していて、ネットで調べるとちゃんと出てきます。具材の切り方やちょっとしたコツまで、なんだったら盛り付け方も載ってます。
これを人に聞くと、具材の新鮮なものの見分け方や余った具材の保存の仕方なども聞けることもあります。
人に聞く良さってこういうところにもあると思ったりして。
便利だけどどこか冷たさを感じることもあり、それがスナフキンの「余計なものが多いところさ」に込められている感じがしました。勝手な私の解釈ですけどね。
たぶんスマホがなくても生きていけるんですよねきっと。なきゃダメだって思い込んでいるのかもしれません。
たまにスマホの電源を切っておくことがあります。24時間見ないで過ごすこともあります。あんまり不便さは感じません。道がわからなかったら誰かに聞きますし、調べたいものがあっても誰かに聞きます。でも電話したくなったら、今は公衆電話がないのでそれは不便です。
便利が不便を作っていること、きっといっぱいあるんでしょうね。考えないだけで。
便利になって、人との繋がりが薄れた部分も濃くなった部分も両方あるとも感じます。
便利なものを自分のペースと距離感で使うのがいいのでしょうね。周りがやってるから使ってるからではなく、自分にとって必要かどうか。義務感で使ったりやったりしていることもあるのかなぁ。余計なものに惑わされてしまっていないかなぁ。なんて考えます。
必要なものを見極めてそれらに囲まれて暮らす・・・それがシンプルで心も穏やかになる暮らしなのかもしれないとCMを見ながら改めて考えさせられました。
ムーミンとスナフキンすげー!(笑)